先日、ビルの入り口に看板を付けました。
以前から看板を付けようと思っていたのですが、
スペースの問題で付けることができませんでした。
この看板がきっかけで、改めて、
世界は自分にとって重要なものしか見えないように
できているんだなということに気づきました。
看板を付けた以降に来店していただいたお客様は、
当然みなさん気づいてくれているものと思っていました。
それが、実際の所、
看板に気づいたのは7名中2名だけでした。
結構ショックです。。
目立たないところにあるわけではないので、
気づかなかった方たちにとっては
看板は重要ではなかったということです。
必ず視界には入っているはずですが、
それを看板として認識していないのです。
気づいたという方は、
「看板があって入り口が分かりやすくなったね。」
と言ってくださりました。
この方たちは、
普段から入り口が分かりにくいと感じていたのでしょう。
なので看板は重要度が高いものなので認識できたのです。
別な話で例えると、
自分自身が妊娠していたり、奥さんが妊娠しているという方は、
街中を歩いていたり電車に乗ると、
妊婦さんが多いことに気がつきます。
でもそういう境遇でない方は、
同じ状況にいたとしても
妊婦さんには気づきにくいです。
これはどういうことかというと、
自分にとっては妊婦さんが大事なので、
妊婦さんというフィルターをかけて世界を見ている
ということです。
そうすることで、
妊婦さんにばかり目がいくようになってしまいます。
意識せずとも、妊婦さんに目がいってしまうのです。
他にも、
欲しい車があると、
途端にその車がいたるところに
走っているのに気づくようになります。
急にその車が増えたわけではなく、
自分にとってその車の重要度が上がったために、
その車に気づけるように(見えるように)なっただけです。
つまり、
世界は自分の見たいように見ることができるし、
今見えているものを変えることができるということです。
悲観的に物事を見る方は、悲観的なフィルターを通して見るからそう見えていて、
楽観的に物事を見る方は、楽観的なフィルターを通して見るからそう見えるのです。
どんな世界を見るか、生きるのかは、
結局のところ自分次第ということですね。
私にとって今は看板に気づいてもらえるかということが、
すごく重要度が高いものになっているようです(苦笑)